「Love You, My Mom~母の日に愛を込めて~」はコチラから


母の日目前ってことで、この作品の解説にいきたいと思います。

わたしは、家族に自分の作品を見せたことはありません。

なぜって・・・恥ずかしいからです(ーー*)

「友達には見せまくってんのによーそんなこと言えるなぁ。しかもウェブに載っけてるやん!」

と思ったあなた、確かにそうですがうちの家族はワケありです。

これはあくまでも推測に過ぎませんが、もしわたしの家族が読んだなら、

「何コレっ!クサっ!!」

「こんなことホンマは思ってないんやろ?」

と好き放題けなすに決まっています。

実際わたしの姉は、

「お前、詩書いてんやって?よーやるわよなぁ。わたしそんなん見たらヒくもん!ヒくんよ」

と言っていました。

そういうわけで、わたしの気持ちを十分に理解してくれるだろう人にしか作品を見せていません。

ウェブに載せているのは、わたしの言葉が力になる、という人がこの世界のどこかにいるだろうと思うからです。

 

そんな自分が、家族にメッセージを書くのは、自分で思うに新鮮味のあることでした。

家族は見ないということがわかっているので、この作品に自分の気持ちをありのままに書けたと思います。

 

家では、好き放題しています。家族内で失礼なことを言い合ってます。

でも、そんなわたしだけどみんなのことは大切に思ってるんだよ、お母さんが大好きだよ、

そういう気持ちはずっとずっとあります。当然のことです。

 

お母さんが元気じゃないと困る。

家に帰ったら、「おかえり」って言ってくれないと困る。

いつまでも元気でいてくれなきゃ困る。

 

母は専業主婦です。

世間では、専業主婦を悪く言う風潮があるけど、家庭というひとつの社会を、守っていくことは簡単じゃない。

わたしは母を尊敬してます。

いつも家事で大忙し、いつもエプロンを着ているお母さん。

そんなわたしのお母さんは輝いています。

 

これからもずっと元気で!

「叶わぬ恋」はコチラから


このサイトにおいてある作品の中でも、いちばん共感していただけているのがこれ。
たくさんの方に、この作品に対するメッセージをいただいています。

この作品を書いたのは、わたしが中学3年生で卒業を目前に控えた頃のこと。
クラスで文集を作るにあたり、班ごとにテーマに沿ったページを作ろうということになり、
そのときのわたしの班のテーマが「恋」でした。
友達と一緒に詩を作ろうという話になったときに、わたしが書き上げたのがこの作品です。
結局この作品が文集に載ることはありませんでしたが、わたしにとっては思い出深い詩のひとつです。

この詩を書いている頃は、常に誰が読んでもわかりやすい詩を書こう、ということを心がけていました。
ですから、自分の思いがこの作品に「ぶちまけ」られているという感じがします。
みなさんの共感をいただいているのもこのためかも知れません。
今読んでも、これを書いた時代のことがありありと浮かんできます。

今振り返っても本当にいい恋をしていました。
確かに辛い時期ではあったけれども、この辛かった時間もわたしにとってはかけがえのない良い時間でした。
誰かを想う痛みすら誇りだと思える・・
そんな自分でいつまでもありたいものです。

「ある夏の日に~生命の問いかけに囲まれて~」はコチラから


この作品を読んだ、または見た瞬間に、「あれ?」と思った人は多いはずです。
この「ある夏の日に・・・」は、散文詩・・と言えるでしょうか。新しいパターンに挑戦してみました。

この作品も、実話を元にしています。
「なんでセミって生きてるんかなぁ」
この質問は本当に唐突すぎて困りました。
次の行にある私の答えは、パッと思いついたので口にしただけです。
皆さんなら何と答えたでしょうか。
私にはこれくらいの言葉しか思い浮かびません・・・。

中心となっている8行は、それから自分なりに真剣に考えた言葉です。
夏になれば必ず現れるセミ。
その存在が当たり前すぎて、彼らに気持ちを向けるということはあまりありませんでした。
正直に言うなら、「勉強の邪魔になるし、セミってうるさいから嫌だ!」みたいな気持ちはありましたが。
ですが時に、その当たり前の存在、疎ましくさえ思える存在への気持ち、見方が大きく変わるときがあります。
私にそのきっかけを与えたのが、「友達」の言葉でした。

何年もの間土の中で過ごし、地上に出るとわずか1週間で生涯を終える、セミ。
でもその命が、今まで気づけなかった大切なことを教えてくれました。

生きるということは、時間じゃないこと。
どんな生き物でも精一杯、自分の命を燃やせること。

私は、この世に生まれたことを恥ずかしく思わないような人生を送りたい。
例え「生きる意味」という大きな答えを見つけられなかったとしても、最後の時を笑顔で迎えられるような
そんな人生を。

「ケンカした帰り道」はコチラから


この作品は、もう・・ホントにホントに実話です。
実際に、友達と少しケンカしてしまって、ひとりで自転車をこいで帰っているときに思いつきました。

第1段落目は、その時に見た景色をそのまま描写したつもりです。

第2段落目。
以前は、確かにあったはずの民家が潰されてたんです。
真っ暗な中に、ぽつんとショベルカーがありました。
家が壊されるっていうのは、私の中では少し悲しいことで、
この前まで普通にあった家がなくなってるイコール寂しいって感じです。
その家が、自分とは何の関係がなくとも。

でも例え、住んでいた人たちの、思い出に満ちた家がなくなってしまっても、
思い出そのものは消えないんじゃないか?
誰にも壊したり、なくしたりすることはできないんじゃないか、と思ったんです。
その気持ちが、私の友達への気持ちと、自然に重なりました。

ケンカして、お互いに辛い思いした今日のことは、確かに記憶の中にはずっと残る。
だけど、今日1日のことだけで、今までの思い出が消えるわけはないよ。
思い出っていうのは、そういうものなんじゃないかなぁ・・・

最後の1文には、
「思い出を簡単に消す方法があるのなら、1度見てみたい。」
そんなものはあるはずはない・・という、私の自信が詰まっています。

当ブログにお越しいただきありがとうございます!v(゜ー゜*)

ここは、わたしが運営しているサイト「詩心~Uta-Gokoro~」に

掲載している作品の解説ブログです。

ですから、このブログだけでは何も楽しむことができません。
よろしければ、下のリンクからわたしのサイトにお越しください。

お待ちしています☆

詩心~Uta-Gokoro~